過去の人、ですらない。
令和二年 四月十三日 月曜日
こんばんは、葛城です。
過去に好きだった人が、有名人なのかもしれないと言うことに、最近気付きました。
一度、交際とは名ばかりの関係になりましたが、実際はそんな事は全くなく、只々手持ちの駒の一つに使われたに過ぎないのですけれども。
でも、当時はそれでも良かったんだと思います。後悔先に立たず。
過去に戻る術があるならば、当時の自分の頭を叩き割りに行く事でしょう。
私は当時、正しく醜態を晒しました。
最も大量に余す所なく汚い部分だけを選び抜いて見せつけてしまった相手だと思います。
そして、そんな彼の人にとって、私は過去の人ですら無いと言う事にも気付きました。
とんでもなく遠い場所に行ってしまっているの彼の人。
私がこんなに鮮明に覚えていても、彼の人の記憶には、もういないのでしょうね。
私との事を思い出す日なんて、全くもって無いのでしょう。
それは扨措き、そんな彼の人のメディアに触れていて、感じた事は。
自分は、何一つ成長していないと言う事です。
彼の人は、物凄い努力を重ねて、きっと現在まで過ごして来たのでしょう。
当時の彼の人からは、想像もつかないところにいるんです。
そんな彼の人の現在を垣間見て、自身の人生が恥ずかしくなりました。
そう考えると、この感情を抱く為に、当時僅かな時間を過ごしたのではと思うのです。
接していなければ、自身に成長が見られない事について、痛感する事は無かったのでしょう。
本当に、未来とは見通せない。
偶さか此処に来て、虚無を感じるとは思ってもみませんでした。
勿論、薄らと解っているのです。
何も変わっていないなぁ、何も成長していないなぁ。
漠然とを感じているだけでは無く、彼の人の存在によって痛感するのです。
殴られた様な衝撃でした。そして、虚無感に襲われました。
私は、現在何もしていない状態です。
人生で、何かをずっと続けている事って全く無いんですよ。
幼い頃は、絵を描くのが好きだった。歌う事が大好きだった。
しかし今、何も続けていません。面倒で、無駄だと言い聞かせ省いてもきたからです。
私が絵を描いたって、誰も喜ばないし、歌ったところで、誰の得にもならない。
只々、私が好きなだけ、自己満足で終わるんです。そして現在、日常に流されている。
現在は、仕事をしているだけです。勿論、勤め先があると言うのは、幸せなことです。
もう就職活動はしたくありませんし、向き不向きの大半は不向きですから、役に立てる事があるのかすら少々疑問です。
と言いますより、私には抑々の社会人としての自覚が備わっていない様に思えます。
とても生き難く、辛い人生だと感じています。
然も生きていると言うよりは、死ねないだけでダラダラと過ごしている。そんな印象です。
何十年も無駄にしてきたかと思うと、まさに後悔先に立たずです。
昔の人は、言葉を操るのが上手ですね。本当に、先に立たない。
何か、自分は社会の役に立てているのか。生きている存在とは、一体何。
何かあったのだろうか。それともこれから?
ダラダラと無駄に生きてしまって、申し訳ない気持ちがふつふつとこみ上げてきます。
この状態で、生きていて良いはずがないんです。
もっと豊かに、人生を使っていかないと、このまま無駄に何年生きてしまうのか。
何かやり切った事はあっただろうか。自問自答とは容易いものですね。
其処から一歩を踏み出す勇気が、本当に無い。
我が子に対して、私が教えていける事は一体何なのか。
とにかく今を流していく事しか出来ていないのに、私が一体何を教えられると言うのでしょうか。
どうして、葛城人生を頑張らないのでしょうか。
一体、どうすれば良かったのでしょうか。何も解決しないまま、また眠るだけです。
少しだけ、話を戻すと。毎年のその日を記憶しています。
我が子に対して、私が教えていける事は一体何なのか。
とにかく今を流していく事しか出来ていないのに、私が一体何を教えられると言うのでしょうか。
どうして、葛城人生を頑張らないのでしょうか。
一体、どうすれば良かったのでしょうか。何も解決しないまま、また眠るだけです。
少しだけ、話を戻すと。毎年のその日を記憶しています。